向島のカフェ その2(祝!?300回)

2014.9.09 Tue

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このコラムの管理画面で更新時に過去のエントリー数がわかるのだが
今回でちょうどこのコラムが300回になった。
2007年から始めたので今年で7年目。
最近はネタがなくて、更新回数は減ってしまったが
飽きっぽい性分なのによく続いたと思い
せっかくだから、このまま続けたいと思います。

今回は前回に引き続き向島のカフェのつづきです。

「カド」のマスターはちょっととっつきにくいが
話し出すと昔や今の向島の話をしてくれた。

子どもの頃はこの店に伊達男がよく来てました、と言った。
伊達男という言葉自体久しぶりに聞いたが
粋でお洒落な男と言った意味だろうか。
外見だけの薄っぺらな男という意味でも使うこともある。

最近はカップルで来ても、飲み物をひとつしか頼まなかったり
二人ともスマホを見ていたりと、この店でも今風な現象に出会うらしい。
「男が見栄を張らなくなったんですかね」とマスターは言った。

確かに最近の男はそうかもしれないと思う。
粋な伊達男にはめったに出会わない。
粋とは美学だ。
「粋がる」という言葉は弱いくせに虚勢を張ったりと
悪い意味で使われることが多いが
若い時は粋とは言わないまでも
「粋がる」ことや見栄を張ることも時には必要だ。
特に若い男には。

東京の下町生まれで粋な落語家の代表格とも言える談志も死んでしまった。
この人は粋であると同時に老いてもなお粋がっていたところが格好良かった。

政治家でも最近は粋な男にはなかなか出会わない。
裏で多少悪さをしても
粋なことをやってくれれば帳消しである。
何かあると記者会見ですぐに謝ったり、
泣き叫んだり、言い訳ばかりじゃ
税金を払う気が失せる。
同時にメディアにも粋な人がいない。
その手の記者会見で記者の質問を聞いていると、
ただのいじめにしか聞こえない。
政治家の記者会見の内容もひどいが
記者の対応にも陰湿な後味の悪さだけが残る。
たまには粋な質問をしてほしいものだ。

カドのマスターも大変だとは言いながら
ちょっと風変わりな父親の店を出来るだけ
そのままの形で引き継いでいるという行為は
やはりひとつの粋な生き方である。

江戸から生まれた感じがする「粋」ではあるが
日本独自の美学とも言える。
向島のような下町をうろついていれば
まだ粋な男に出会えるかもしれない。
しかし、粋な男は同時に照れ屋であることが多いから
なかなか写真を撮らせてくれないことが多いのが悩ましい。


▲カドで撮った「考える錆美子」。