2007.11.26 Mon

靴が好きである。女性の靴、特にハイヒールは好きなのだが、それは他のページにある僕の写真を見てもらえばわかることなので、今回は男の靴の話。男性用の靴は被写体として好んで撮るわけではないが、自分が履くものとして好きだ。なにがいいのかと言えば、男性用の靴にはデザインと機能があるからだ。身につける物で靴が一番機能を要求される。勿論服にもある程度機能は必要だが、やはりデザインが主ではある。さらにアクセサリー類はほとんど機能はないので、興味が無い。他にメガネはそういう意味ではデザインと機能が融合したものだから好きな方だ。とにかく靴は、人間の全体重がかかるわけで、しかも歩く為のものだから、丈夫でなくてはならない。そこもまたいい。そして使い込めば込む程に味がでる。道具に近い。それに比べて女性の靴は、使い込む美学は無い。使い込んだハイヒールには色気がない。女性の靴にも勿論機能は必要だが、その多くが本質はアクセサリーの方向を向いている。男の靴は、機能とデザインのせめぎ合い、そして使い込む道具としての美学に満ちている。特にアウトドア用の靴はそうだが、しかしそれらは機能美に偏らざるを得ない。やはり普段に履く靴にはデザインと機能との切磋琢磨の戦いがある。だから僕は普段履く靴に他の洋服等よりちょっとだけお金をかける。(10万以上の靴はもったいなくて履けないので、数万円止まりだが)やはりいい靴は長持ちする。それははっきりしている。なかなか壊れないし、壊れても修理が利く。勿論デザイナーがデザインしているから形もいい。さらに手入れをする楽しみもある。(と書く程手入れはしてないけど‥‥)イギリス製のジョン・ロブの靴は、靴好きには有名だ。昔、金持ちが買ったばかりのベンツを盗まれた。彼はとても悔しがった。その悔しがる彼を友人が「金はいくらでもあるからまた買えばいいだろ」と言うとその金持ちは「車が惜しいわけではない。あの車のトランクには自分が履き込んだジョン・ロブの靴が何足も入っていたから悔しいのだ‥‥‥」と言ったらしい。履き込んだジョン・ロブは金では買えないということだ。なかなか味のある逸話である。もしかしたら、作り話かもしれないが、それでもリアリティがあるのは、ジョン・ロブという靴が持つ魅力のせいだ。僕もジョン・ロブは履いてみたいと思うが、スーツも着ないので買っても履く機会がないから、履き込む楽しみは得られないし、ちょっと高いので買ってはいない。いずれ大人になったら買いたいと思う。僕もグラフィックデザイナーとしてデザインと機能との間で戦うわけで、男の靴にはそのエッセンスが凝縮されているような気がするのである。しかし、歩くという機能をぎりぎりまで追いつめた、10センチ以上のピンヒールのきわどい美学の前には、その男の美学も霞んでしまうのも事実なのだが。
●写真/ここ数年お気に入りの靴。有名ブランド物ではないが、使い込んだ革の感じがお気に入り。踵部分を替えて少しリフレッシュ。

BIRD電子

2007.11.18 Sun

落語の話の最後に紹介した、「BIRD電子」について。というよりも僕の買ったBIRD電子製品の紹介。●写真上/自分の部屋にあるi-podを聞く為のアンプ。全て金属製。少し重たいが別に持ち歩くわけではないので不便はしない。ボリュームとメインスイッチのみのシンプルなデザインが気に入っている。●写真その下/モバイルスピーカー。アルミ製の筐体の中にスピーカーが入っているだけ。i-podのイヤホンジャックに直接つないで使うので、音は小さいが、電池がいらないので、撮影等でホテルに泊まった時には重宝する。●写真さらにその下/ノートパソコン用の角度がついた冷却用のボード。微妙に角度が付いているので、キーボードが打ちやすい上、ファンでノートパソコンの底を冷やしてくれる。いろいろな種類がある。●写真下/i-pod等のUSB電力を乾電池で補充する装置。i-podが充電しづらい旅行中とかは便利。等々他にもいくつか買っているが、ここの製品はほとんどが金属(鉄、アルミ、ステンレス)で出来ているのと、その材質によって制限されることで生まれるデザインが僕が気に入っている理由かもしれない。ちょっとクールでごついデザインだ。i-pod周辺機器はかなり出回っているが、この手の製品がほとんどプラスチック製で、自由な造形が可能だが、逆にデザインが過剰だ。デザインが出しゃばり過ぎると飽きやすい。自由度の少ない金属を使う事で、シンプルでオリジナリティのあるデザインになっていると思う。そのかわりスピーカーは最近はやりの重低音とかは出ないが、ちょっと聞くには充分である。大量生産をして、大きな利益を確保しなくてはいけない大企業には出来ないことを、小さい会社故のメリットを生かして小ロットでユニークな製品を作っている。「BIRD電子」のような会社はこれから増えてくるような気がする。


落語の話

2007.11.11 Sun

中学生の頃から落語が好きだった。急性腎炎で3ヶ月入院していた時に、暇つぶしに聞いたのが始まりだった。最初におもしろいと記憶に残っているのは、柳家小さんの「時そば」という噺だ。その間抜けな話の内容と落ちも面白かったが、蕎を本当に食べているかのような小さんの芸に関心したものだ。それ以来蕎が好きになったような気もする。最近では今は亡き古今亭志ん朝、現役で未だに頑張っている立川談志の落語は夜寝る時にi-podで聞いている。談志はたくさんの CD全集を出しているが、志ん朝は生きている時から積極的に全集を出さなかったせいで、現在手に入るものは2種類しかない。そんなわけで、志ん朝の落語は同じ噺を何度も聞く事になる。特に気に入った噺は30回以上は聞いているかもしれない。噺の筋はわかっているのだが、それでも何回聞いても飽きないし、流石だと思う。一体何がいいのか。それはものの見事に噺の登場人物になりきる彼の芸と噺の間だ。志ん朝が語っているのは確かなのだが、噺を聞き込んでいくと、志ん朝が消えて行く。登場人物の像が、そして人格が頭の中に鮮明に浮かび上がってくる。へたくそな落語はその落語家がしゃべっている事実が消えず、噺の中に入っていけない。それは俳優でもそうかもしれない。いい演技をする俳優というのは役になりきるというのは、よく言われることだ。自分が消え入るような芸が名人と呼ばれるひとつの要素かもしれないと思う。でも結果その人が浮かび上がってくるのだが‥‥‥。きっと文体にあたる話体のようなものが存在するのだろう。一方の談志は志ん朝とは全く異なるタイプの落語家である。志ん朝が志ん生という偉大な落語家の父を持ち、兄も落語家で、ある意味落語界のエリートのような環境に育ち、しかも声にも艶があって流れるような語り口であるのに対し、談志はまず声が落語向きでない上に、単身柳家小さんに弟子入りするも、反抗心旺盛で飛び出してしまい、立川流を立ち上げたり、政治家になったり、事件を起こしたりで波瀾万丈である。その談志の落語は志ん朝とは正反対で、談志が全面に出る。出るが勿論へたではない。彼も噺の世界に引き込むだけの素晴らしい芸の持ち主だが、あくまで談志の存在を感じさせる。彼独特の毒とウィットのある枕は談志だけのものだが、その中身の落語も談志しかできない特殊性がある。古典落語を愛し、しかし歌舞伎のように閉鎖された古典ではない、時代の中で生きる古典落語を未だに追求し、模索し続けているような気がする。音楽で言えば、志ん朝がクラシックなのに対し、談志は現代音楽のようなものか。ちょっと違うか。歴史小説と私小説かもしれない。談志の落語はいわゆる芸を磨くという職人的なスタイルではなく、常に実験を繰り返し悩み続ける落語と言ってもいいかもしれない。そんな訳で談志は夜寝る時に聞くには内容が刺激的であまり向かない。実際談志は彼の高座で居眠りしていた客を怒って追い出すという暴挙をやってのけたから、睡眠薬がわりに彼の落語を聞く事は望んではいないだろう。
そんな対照的な二人の落語家だが、ほぼ同期である二人は、互いの存在があって成立していたのかもしれないと思う。
●落語の話とは関係ないが、写真はおやすみ用の、落語と静かな音楽専用のi-podと「BIRD電子」という会社で作っているラジカセ風i-pod専用アンプ。音質はそれほどでもないが、デザインがユニーク。「BIRD電子」は産業用のキーボード等を作っている会社だが、i-podやパソコン回りのちょっと変わった製品を少量生産で作っている。あまたあるi-pod周辺アイテムに比べ、価格はちょっと高めだがプラスチックをあまり使わないので、その製品はどれも新鮮に感じる。企業向けの専門技術を転用した、おもしろい会社だと思う。


修理

2007.11.06 Tue

先日、カメラの三脚を修理とオーバーホールに出した。カメラマンになった時から使っていたもので、プロ用では信頼のあるメーカーのものだった。念のため見積もりをとったら、2万円以上もかかると言われ、やむなく脚の先端のすり切れたゴムのみを注文するだけにした。実際仕事では、カーボンファイバー製の軽量タイプを使ってはいるのだが、やはり苦労を共にした機材なので、思い入れもありサブで使おうと思ったのだが、そのクラスの新品が4〜5万で買えるので、思い入れだけの為に2万以上は出す気がしなかった。最近は何でもそうだが、修理代が高いので、新しく買い替えることが多い。特にデジタル関係は修理に出すと、代替え品が送られてきたりする。余程気に入ったものでないと、修理して使い続けることが現実的に難しくなっている。作る側もそれを想定して作っている節もある。車は10年ぐらいしたら壊れるように設計してある、という噂も聞く。資源節約というスローガンとは裏腹な状況だ。考えて見れば、僕の回りに使い込んだものはあまりないなーと思う。俺ぐらいか‥‥‥。写真は僕の親爺の形見の8ミリカメラだが、これは僕が幼稚園に入る前に既にあったから、40年以上前のものだ。(8ミリと言ってもフィルムは16ミリで、カセットテープのように半分づつ使う。片側を撮り終えたら反転してもう半分を露光する。現像から上がってくるとタテに半分切られて8ミリとなる。普及したシングルエイトというタイプに対してダブルと言っていたように思う。)ぜんまい式!で、今でもちゃんと動く。しかしフィルムがないので実際には使えないが。蓋を開けて中を見てみると、プラスチックがあまり使われていない。最近のカメラは遮光の為にスポンジ状のパッキンを使うケースが多いが、このカメラはそういう類のものは一切使われていないので、消耗する部分がないのだろう。ぜんまいを巻いてスイッチを入れると、きっちりと定速で、真面目に機械が動く。金属製でずっしりと重い。昔の道具を感じさせる。さすがに親爺も簡単にはさわらせてくれなかった。恐らくフィルムさえ手に入ればちゃんと撮影はできるだろう。もはや最近のデジタルカメラでは、機械的に動いても、中身のデジタル部分があっと言う間に古くなるから、壊れる前に買い替えなくてはならない。先日、仕事で使っていた初期の1眼レフのデジカメ2台がほとんど使わなくなっていたので、中古カメラ屋でその2台を売って、それよりちょっと新しいデジカメ1台を中古で買ってサブで使っている。デジタル機材はまだまだ使い捨てが続くのだろう。ちなみに写真下の1眼レフは大学時代に使っていたニコンの F2というカメラ。これも30年以上前のカメラだが、まだまだ現役でたまに使っている。いかにも機械然とした無骨なデザインがニコンらしくていい。しかし、そのニコンもフィルムのカメラの製造を中止した。売れないのだから仕方がない。機械工学が中心だった頃の製品は、今でも使えるものが多い。一方、デジタル世代の製品はあっという間に古くなる。
例えば、受光部分とデジタル部分をユニット化して、そこだけを交換すれば使い続けることが可能なカメラが出来るといいのにと思う。(プロ用の大型、中型カメラはこの方式にはなっているがものすごく高い)カメラメーカーは儲からないかもしれないが、省資源を真面目に考えるならば、そういう発想もありだと思う。あまり広告の仕事をやっている人間の言う事ではないかもしれないが‥‥‥。